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海外勝利に世界初の試み…
日本の競馬の歴史①~1970年まで~



日本の競馬は、世界でも有数の馬券売上を誇っています。ヨーロッパで普及した競馬は、どのようにして日本で発展していったのでしょうか。ここでは1970年までの日本競馬の歴史を振り返ります。

日本における近代競馬の始まり

日本における近代競馬の始まり

現在行なわれている「近代競馬」が日本に伝わったのは1862年のことで、横浜居留地にて外国人たちが始めたのがきっかけでした。当時の日本人にとっては珍しいものでしたが、外国人が始めたこのスポーツは次第に人気を呼び、19世紀後半には根岸競馬場(現在の横浜競馬場)や函館競馬場が作られます。

20世紀前半には、東京競馬倶楽部や中山競馬倶楽部、阪神競馬倶楽部など、現在の競馬の中心地となる場所で競馬運営団体が発足されました。

また、1932年には、イギリスダービーを模範とした第1回日本ダービー(東京優駿大競走)が施行され、函館孫作さんの騎乗したワカタカが優勝しました。当時の勝ちタイムは2分45秒4で、2000年以降と比べると、およそ20秒近く遅いタイムでした。

日本中央競馬会(JRA)の設立

1936年、各地域の競馬倶楽部が統一され、日本競馬会となります。日本競馬会は1948年に国へと引き継がれ(国営競馬の開始)、1954年には国の傘下となる特殊法人・日本中央競馬会(JRA)が発足し、JRAは、国に代わり現在まで競馬の運営を担うことになりました。

この間には何頭もの歴史的名馬が現れました。なかでも1941年の日本ダービーを制したセントライトは、同年に、のちの皐月賞と菊花賞にあたる2レース(横浜農林省賞典四歳呼馬・京都農林省賞典四歳呼馬)を制覇しました。ダービーを含めたこの3レースは「三冠レース」とされ、すべてを制した馬は「三冠馬」と呼ばれます。セントライトは日本で初めて、三冠馬の称号を得た馬でした。

世界でも類を見ないレースが誕生

JRAが発足した1954年以降は、ファン獲得のための新しい取り組みが次々に行なわれました。なかでも特筆すべきは、競馬における「ファン投票」の実施です。1956年から始まった年末の有馬記念(当時は中山グランプリ)は、ファン投票により出走馬を選出するという、世界でも初めての試みでした。このアイデアはファンの心を掴み、やがて有馬記念は世界最大級の馬券売上を誇るレースへと成長します。

偉業を達成した2頭の名馬

1959年には、日本の競走馬が初めて海外のレースで勝利します。前年よりアメリカに長期遠征していたハクチカラが、2月に行なわれたワシントンバースデーハンデキャップを制覇しました。遠征11戦目で掴んだ念願の白星でした。

1964年には、シンザンが、セントライトに続く2頭目の三冠馬の称号を得ました。19戦15勝、2着4回と安定感抜群の成績を残したシンザンは、三冠レースの他、秋の天皇賞や有馬記念などのビッグレースを制し「五冠馬」となりました。最後までしぶとく伸び、ゴール前できっちりかわすレースぶりは、「ナタの切れ味」と評されました。