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世界に迫った時代! 
日本の競馬の歴史②~1970年以降~



日本の近代競馬は、1862年より幕を開けました。競馬後進国であった日本から、世界トップクラスのサラブレッドを輩出するまでに至ったその道のりには、どんな歴史があったのでしょうか。

競馬をメジャーに押し上げたハイセイコー

競馬をメジャーに押し上げたハイセイコー

1954年のJRA(日本中央競馬会)の発足以降、競馬はギャンブルとして着実に人気を獲得しつつありました。そんな中、1970年代に現れたハイセイコーによって競馬はギャンブルの枠を超えた社会現象を生み出します。

ハイセイコーが最初に所属していたのは、JRAが主催する中央競馬ではなく、地方自治体が行なう地方競馬でした。1972年に大井競馬場でデビューすると、破竹の快進撃を見せて翌年に中央競馬へ移籍します。移籍後も皐月賞や宝塚記念を勝つなど、トップクラスの競走馬として活躍しました。地方から中央へのし上がってきた姿が一般の人々の心を打ち、一躍国民的アイドルになります。ハイセイコーをテーマにした楽曲『さらばハイセイコー』がヒットするなど、ギャンブルの範疇を超えた人気を呼びました。

2年連続で三冠馬が誕生

ヨーロッパの競馬を模範とした日本にとっては、「世界レベルの馬を作る」ことが大きな目標でした。そこで1981年から始まったのがジャパンカップです。世界各国の馬を招待する国際招待競走として作られたこのレースは、日本競馬の向上に大きく貢献しました。

一方、1983年にはミスターシービーが史上3頭目の三冠を達成しました。その翌年にはシンボリルドルフが三冠を決め、2年連続で三冠馬が誕生します。特にシンボリルドルフは、無敗での偉業達成でした。

世界に肩を並べた時代

1990年代になると、日本の競馬は1レースで何百億円もの金額が動く大きなイベントとして定着します。

1990年代前半を象徴したのは、1994年に史上5頭目の三冠馬となったナリタブライアンです。皐月賞・ダービー・菊花賞と、レースごとに着差を広げる圧勝での快挙でした。

1990年代後半は、日本競馬が世界から脚光を浴びた時期でした。1998年に、シーキングザパールがフランスのモーリス・ド・ギース賞(モーリス・ド・ゲスト賞G1)を、同年にタイキシャトルがフランスのジャックルマロワ賞(G1)を制覇します。その翌年には、エルコンドルパサーが世界最高峰のレースとされるフランスの凱旋門賞で2着と健闘しました。

サンデーサイレンスの血が大繁栄

1991年にアメリカから来日した種牡馬サンデーサイレンスの子孫も大活躍を見せます。2005年に史上6頭目の三冠馬となったディープインパクトを筆頭に、毎年様々な距離で産駒がG1を優勝。1995年から2007年まで種牡馬ランキングのトップを独走しました。

サンデーサイレンスの死後も、その血を継ぐ孫世代が大活躍しています。2011年に史上7頭目の三冠を達成したオルフェーヴル(父ステイゴールド)や、2013年の日本ダービー馬キズナ(父ディープインパクト)など、サンデーサイレンスの血統はさらに勢力を広げています。