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数々の名馬が挑戦! 競走馬の海外遠征



サッカーや野球などと同じく、競馬においても、日本で活躍した数々の名馬が海を渡り「本場」の舞台へと挑みました。ここでは、日本馬の海外遠征を振り返ります。

海外遠征を行なう理由

海外遠征を行なう理由

世界の中で競馬先進国とされるのはイギリスやフランス、アメリカであり、日本はあくまで競馬を後追いで始めた国のひとつです。そのため昔から、日本の競馬関係者の合言葉は「世界を追い越せ」でした。特に、世界最高峰のレースとされる凱旋門賞は、日本の競馬関係者にとっていつかは手にしたいタイトルとされています。このような理由から、日本の競走馬は海を越えて遠征を行なってきました。

海外遠征の開拓者ハクチカラ

日本の競走馬が初めて海外遠征を行なったのは1958年のことです。ハクチカラが当時としては異例の、約1年にわたるアメリカ滞在を敢行したのが始まりでした。

最初は環境の違いやレースの質の違いに戸惑ったハクチカラですが、徐々に力を出せるようになると成績は良化します。そして1959年2月、遠征11戦目となったワシントンバースデーハンデキャップで念願の勝ち星を挙げます。これが日本馬による初めての海外勝利となりました。

長きにわたる苦難の時代

ハクチカラ以降、多くの馬が海外のレースに挑みますが、勝利を手にすることはできませんでした。日本馬の海外2勝目は、1995年まで待つこととなります。その間、G1を4勝したスピードシンボリや七冠馬のシンボリルドルフなど、日本を代表する馬たちが挑戦したものの、優勝争いにさえ食い込めないレースが続きました。

世界が驚いた日本競馬の発展

長きにわたる日本馬の連敗を止めたのはフジヤマケンザンです。1995年に香港で行なわれた国際競走のG2、香港国際カップにて優勝します。

そして1998年、日本から遠征したシーキングザパールとタイキシャトルが、それぞれフランスのG1レースで勝利します。日本馬として初めて海外のG1タイトルを手にしました。

翌年には、エルコンドルパサーがフランスへと長期遠征します。G1のサンクルー大賞を勝つと、世界最高峰のレース・凱旋門賞に優勝候補として参戦し、勝ち馬とデッドヒートを繰り広げ2着でゴールします。これらの活躍で、日本競馬は世界から一目置かれる存在になったのでした。

目指すは日本馬の凱旋門賞制覇

1990年代後半の大躍進を境に、日本馬はたびたび海外のビッグレースを制してきました。なかでも2001年の香港国際競走デーにおける活躍は鮮烈で、この日に行なわれた4つの国際G1のうち、3つを日本馬が制する(ステイゴールド、エイシンプレストン、アグネスデジタル)という快挙をやってのけました。

さらには2011年、世界トップクラスの賞金を誇るドバイワールドカップにて、日本のヴィクトワールピサが勝利しました。2着にも日本のトランセンドが入るという歴史的な結果になりました。

これらの海外遠征の中で、日本の競馬関係者が「悲願」とするのは凱旋門賞制覇です。オルフェーヴルやディープインパクトなど、日本の最強馬が数多く挑戦していますが、2013年9月の時点では2着(3回)という結果が日本の馬が勝ちとった最高位となっています。