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騎手のご紹介(7)増沢末夫騎手について



増沢末夫さんは1957年にデビューし、ベテランになってから花開いた騎手です。彼の経歴やコンビを組んだ名馬たちを振り返ります。

来歴

来歴

増沢末夫さんは1937年に北海道で生まれ、1957年に鈴木勝太郎厩舎所属として騎手デビューします。デビューから10年近くは年間30~40勝程で、中堅ジョッキーとして定着していきます。

初重賞制覇は1967年の日本ダービーであり、アサデンコウに騎乗し勝利を収めます。生涯初の重賞勝利を、騎手の憧れる日本ダービーで決めるという珍しいケースでした。

また、1972年にはイシノヒカルでG1級のレースを2つ制しています。

その翌年には、地方競馬大井競馬から移籍してきたハイセイコーとコンビを組んで一大ブームを巻き起こし、同馬とは皐月賞や宝塚記念などで優勝しました。

1977年以降は多くの年でリーディングジョッキー争いを演じ、トップジョッキーの仲間入りを果たします。また、1986年にはダイナガリバーで2度目の日本ダービーを勝利します。48歳7ヵ月での日本ダービー勝利は最年長記録でした。

1992年の引退までに挙げた勝ち星は2,016勝で、生涯2度の全国リーディングジョッキーに輝きました。引退後は調教師に転身し、2008年まで第一線で活躍しました。

ハイセイコーとのコンビ

増沢末夫さんの名が一躍全国区となったのは1973年、地方競馬からJRAに移籍してきたハイセイコーとコンビを組んだときでした。ハイセイコーは社会現象になる程の人気を呼び起こし、同馬に騎乗していた増沢さんも、競馬ファン以外の人にも知られる存在となります。

ハイセイコーとのコンビが実現したのは、同馬がJRAに移籍した際、増沢さんの所属する鈴木勝太郎厩舎に入ったためで、JRAで走った16戦すべてに増沢さんが騎乗しました。

1975年1月には、シングルレコードの『さらばハイセイコー』を発売します。楽曲は大ヒットし、売上は45万枚に達しました。

晩年のめざましい活躍

JRAにおける歴代の騎手の中でも、晩年に大活躍した稀有なジョッキーとして知られています。1958年~1965年までは年間30~40勝、1966年~1976年までは年間40~60勝でしたが、デビュー21年目となる1977年に年間勝利を74勝へと伸ばし、関東1位・全国2位の成績を収めます。

さらに、1981年には年間96勝を挙げ、自身初の全国リーディングを獲得し、翌年は年間104勝とさらに勝ち星を伸ばし、2年連続で全国リーディングに輝きます。

その後もコンスタントにリーディング争いに加わり、JRA騎手として史上初の通算1,500勝・2,000勝を達成していきました。