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騎手のご紹介(10)柴田政人騎手について



柴田政人さんは、数々の大レースを制した騎手であり、引退後は調教師として第二の人生を歩んでいます。彼の騎手としての来歴やコンビを組んだ馬などを紹介します。

来歴

来歴

柴田政人さんは、1948年生まれの青森県出身です。叔父に調教師だった柴田不二男さんがいて、幼い頃から騎手を目指します。なお、兄である柴田政見さん、弟の柴田利秋さんもJRAの騎手としてデビューしています。

柴田政人さんが馬事公苑の騎手養成長期課程に入った年は、のちに「花の15期生」と呼ばれる程才能豊かな人材が揃っており、同期には天才騎手として世に知られた福永洋一さんや、シンボリルドルフなど幾多の名馬にまたがった岡部幸雄さんなどがいました。

デビューは1967年、所属厩舎は高松三太厩舎でした。初年度は8勝止まりでしたが、2年目以降はペースを上げ、1973年には年間61勝で関東のリーディングジョッキーとなります。

1988年には132勝を挙げ、全国リーディングを獲得します。また同年には、世界各国の名手が集ってポイント制で順位を競う、ワールドスーパージョッキーズシリーズにも優勝します。

1990年頃には海外へも積極的に遠征します。イギリスのキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスで海外馬のアサティスに騎乗し、3着となります。1993年には自身の悲願であった日本ダービーをウイニングチケットで制します。しかしその後、落馬事故に見舞われ1995年に引退しました。通算1,767勝の実績を残し、調教師へと転身しました。

コンビを組んだ主な馬たち

柴田政人さんがコンビを組んだ馬について紹介します。

ウイニングチケット
柴田さんに念願のダービータイトルをプレゼントしたのがウイニングチケットです。1番人気で迎えた1993年の日本ダービーは、ビワハヤヒデとナリタタイシンを合わせた「3強」と言われていました。レースが直線に入り、柴田さんがインコースを狙うと、まるで図ったように前方が大きく開きます。ウイニングチケットは迫るライバル2頭を振り切り、1着でゴールインしました。レース後は、大観衆から「政人コール」が起こりました。
ミホシンザン
クラシック三冠馬シンザンの子として、1985年~1987年に活躍しました。同馬は生涯16戦のすべてで柴田さんとコンビを組みました。大きく崩れて負けたのは2度だけで、その他は安定感抜群のレースぶりであり、常に3着以内を死守しました。
プリテイキャスト
柴田さんがもっともファンを驚かせたレースと言えば、プリテイキャストと挑んだ1980年の天皇賞・秋です。伏兵の評価に甘んじていたこのコンビは、3,200mの長距離戦でスタートから後続を大きく引き離します。後続の有力馬もプリテイキャストはノーマークだったため、差はどんどん開き、結局7馬身差の圧勝劇を演じたのでした。