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競馬の調教師のご紹介(2)
松山吉三郎さんについて



松山吉三郎さんは、昭和から平成初頭の競馬界において、偉大な実績を残した調教師です。彼の辿った足跡と、管理した名馬たちを振り返ります。

来歴

来歴

松山吉三郎さんは、1917年、鹿児島県に生まれました。父が競走馬の厩務員を務めていたことから、自然と競馬界に入っていきます。1934年から騎手となりますが、1950年に調教師免許を取得し、競走馬を管理する立場へ転身します。翌年には管理馬のヤシマザクラが初勝利を挙げます。

調教師2年目となる1952年には、所属馬のスウヰイスー(スウィイスー)が、八大競走の桜花賞とオークスを勝利します。その後もスターロッチ(1960年のオークスと有馬記念を制覇)、ダイナガリバー(1986年の日本ダービーと有馬記念を制覇)など、長年にわたり活躍馬を輩出しました。

1994年に調教師を引退した際の通算勝利数は1,358勝です。また、全国の最多勝利調教師に2度輝いています。八大競走についても、通算10勝の成績を残しました。

また、2004年には調教師としての功績を認められ、調教師顕彰者としてJRAの殿堂入りを果たしました。

なお、息子の松山康久さんもJRAの調教師です。

父子2代での日本ダービー制覇

松山吉三郎さんは、調教師として日本ダービーを2勝(1962年フエアーウイン、1986年ダイナガリバー)し、息子の松山康久さんも、調教師として日本ダービーを2勝しています(1983年ミスターシービー、1989年ウイナーズサークル)。2013年現在、調教師として、親子2代による日本ダービー制覇は、他に池江泰郎さん・泰寿さん親子のみしか達成していない偉大な記録です。

松山厩舎に所属した主な活躍馬

松山吉三郎さんが調教師として管理した主な活躍馬を紹介します。

スターロッチ
松山厩舎の管理馬として1959年にデビューしました。翌年、桜花賞で3着に入ると、その後の優駿牝馬では人気薄ながら1着でゴールします。さらに、同年12月に行なわれた有馬記念でも低評価を覆して勝利し、八大競走の優駿牝馬と有馬記念を制覇する活躍を見せました。
ダイナガリバー
1986年の日本ダービーと有馬記念を制した名馬です。日本最大級の競走馬生産組織である社台グループに初のダービータイトルをもたらした馬でもあります。松山吉三郎さんにとっては1962年のフエアーウイン以来、24年ぶりのダービータイトルでした。
モンテプリンス
1979年~1982年まで現役として活躍し、1982年の宝塚記念と天皇賞・春という、ビッグレースを2勝しました。1982年までは、人気になりながらたびたび大レースで2着に惜敗しており、「無冠の帝王」とも呼ばれました。また、雨が降り、馬場が悪くなると競走成績が落ちることから、「太陽の王子」とも称されました。