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競馬の調教師のご紹介(3)
藤本冨良さんについて



藤本冨良さんは日本競馬の黎明期に活躍し、数々の名馬を育て上げた調教師です。彼の足跡と、管理した名馬たちを振り返ります。

来歴

来歴

藤本冨良さんは、1907年、静岡県に生まれました。騎手としてデビューしたのち、調教師免許にあたる調教管理者資格を1930年に取得します。

1987年まで調教師を続け、積み上げた白星は1,339に上ります。尾形藤吉さん、松山吉三郎さんに続き、歴代3位の実績を残しました。年間最多勝利調教師も1970年と1971年に獲得しています。

全体の勝利数はもちろん、大レースも数多く制した名伯楽で、生涯に日本ダービーを3回、天皇賞・春を4回勝利しました。また、八大競走のすべてを調教師として制しています。

2004年に長年の功績が認められ、調教師顕彰者としてJRAの殿堂入りを果たしました。

管理した主な活躍馬たち

藤本冨良さんが調教師として管理した主な活躍馬を紹介します。

メイヂヒカリ
1954年~1956年まで、圧倒的な強さを見せたのがメイヂヒカリでした。デビューから6連勝を飾ると、翌年のクラシック最終戦・菊花賞を制覇します。さらに翌年には天皇賞・春と中山グランプリ(現在の有馬記念)を制しました。
特に引退レースとなった中山グランプリの勝ち方は鮮烈で、実績馬が揃う中、レコードでの圧勝を果たします。管理する藤本さんはこのレースを見て、「海外に行っても通用する強さだ」と評価しました。
ヒカルタカイ
地方競馬大井競馬で活躍し、史上初の三冠を達成した競走馬です。デビューから2年経った1968年になると中央競馬に移籍し、藤本冨良厩舎の管理馬となります。
移籍したその年、早速天皇賞・春と宝塚記念を制覇しました。特に天皇賞・春の勝ち方は、今も語り継がれる17馬身差の圧勝劇で、高い能力を見せ付けました。
ゴールデンウエーブ
藤本さんが初めて日本ダービーを制したのは1954年、ゴールデンウエーブによる勝利でした。ゴールデンウエーブもヒカルタカイと同じく、地方競馬から移籍してきた競走馬です。地方競馬からの転身組の能力を、舞台を変えてもいかんなく発揮させたと言えます。
ヒカルメイジ
ゴールデンウエーブの日本ダービー制覇から3年、2度目のダービータイトルを藤本さんにプレゼントしたのがヒカルメイジでした。ヒカルメイジはデビュー年の成績はふるわなかったものの、2年目の1957年から素質が開花しました。皐月賞こそ負けましたが、日本ダービーで優勝します。それもレコードでの快勝でした。その後の活躍が大いに期待されたヒカルメイジですが、屈腱炎を発症し、ダービー後に2戦したのち、引退となりました。