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競馬の調教師のご紹介(5)
伊藤修司さんについて



伊藤修司さんは、20世紀後半のトップトレーナーとして、活躍馬を送り続けた調教師です。彼の来歴や手掛けた名馬を振り返ります。

来歴

来歴

1930年、伊藤修司さんは兵庫県に生まれます。父である調教師の伊藤勝吉さんの影響で競馬界に入ります。

騎手見習いとして東京の尾形藤吉厩舎に入門し、当時「大尾形」と言われた名門で競馬を学びます。

1948年に騎手デビューを果たすと、1953年には父の厩舎へと所属を変更し、チトセホープで1961年のオークスに勝つなど活躍します。1963年には引退し、騎手として197勝の成績を残し調教師へと転身します。

調教師免許を取得したのは1964年のことでした。開業した次の年にはハツライオーで初重賞制覇を成し遂げます。そしてそこから1991年まで、27年連続で重賞を制覇し、大記録を達成します。

1968年にはマーチスで皐月賞を制し、初のクラシックタイトルを手にします。その後は、障害レースで無類の強さを誇ったグランドマーチスや、ハギノトップレディ、ハギノカムイオーの姉弟、G1を3勝したスーパークリークなど、数々の名馬で大レースを制しました。

伊藤さんの引退は2000年のことでした。定年(70歳)によるもので、通算1,223勝の成績を収めました。重賞勝利数は83勝に及びます。

管理した主な活躍馬

伊藤修司さんが調教師として管理した主な活躍馬を紹介します。

グランドマーチス
1971年にデビューしたグランドマーチスは、初期の伊藤修司厩舎を代表する名馬です。グランドマーチスが名を挙げたのは障害レースです。デビューから約1年半経った1973年3月に障害レースに挑戦します。初戦は2着でしたが2戦目で勝ち上がり、コツコツ実績を積み上げます。障害レースの才能が完全に花開いたのは1974年4月のことで、障害馬の最高峰である中山大障害・春を勝ったのでした。
その後は、中山大障害を春秋合わせて4勝、京都大障害を春秋合わせて3勝と、圧倒的な強さを誇りました。
ハギノトップレディ、ハギノカムイオー
母イットーの子であるこの2頭は、当時「華麗なる一族」と呼ばれた、名門家系出身のサラブレッドでした。「華麗なる一族」の馬たちは、総じてスピードが優れており、スタートから先頭に立ち押し切るスタイルで勝利を収めました。
一族の中でもっとも世間を賑わせたハギノトップレディとハギノカムイオーは、どちらも伊藤さんのもとで育てられました。姉のハギノトップレディは1980年の桜花賞とエリザベス女王杯を制し、弟のハギノカムイオーは1983年の宝塚記念を制しました。どちらもデビュー前から話題となった馬で、特にハギノカムイオーは、セリにおける当時の史上最高価格1億8,500万円で落札されていました。そのため、管理するスタッフたちの気苦労は相当なものだったと言えます。