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競走馬のご紹介(4)ハイセイコーについて



ハイセイコーは、1973年に地方競馬から移籍し、多くの人の心をつかんだ競走馬です。社会現象まで巻き起こしたアイドルホースについて、以下に紹介します。

来歴

来歴

ハイセイコーの来歴をまとめます。

地方競馬時代

1970年に生まれたハイセイコーは、1972年に地方の大井競馬でデビューします。大井では6戦6勝を挙げ、うち2回はレコード勝ちという圧倒的な強さでJRAに移籍します。

JRAへ移籍、一躍スターへ

1973年3月、移籍初戦となった弥生賞を制覇します。次のG2レースのスプリングステークスも勝ち、クラシック戦線の主役へと上りつめます。その頃のハイセイコーは、一般ニュースにも取り上げられる程の話題となりました。

対戦相手のレベルが上がってもハイセイコーの勢いは止まらず、三冠初戦の皐月賞を制覇しました。さらにNHK杯も勝利して、移籍後4連勝を果たし、いよいよ日本ダービーへと向かいます。この時点では、ほとんどの人がハイセイコーの勝利を信じていました。

日本ダービーで初の敗戦

1973年の日本ダービーは戦前からニュースでも盛んに報じられ、ハイセイコーの単勝支持率は、当時の史上最高となる66.6%を記録しました。しかし、結果は3着となり、生涯初の敗戦を喫しました。

その後は菊花賞や有馬記念などのビッグレースに挑戦しますが、惜敗が続きます。それでもハイセイコーの人気は衰えることなく、多くの人たちが競馬場に詰めかけました。

古馬となってからの戦い

1974年もハイセイコーは勝ちと負けを繰り返します。年明けのアメリカジョッキークラブカップや天皇賞・春では、掲示板(5着以内)を外す惨敗となりました。一方で、6月の宝塚記念などでは鮮やかな勝利を見せます。そして、その年の有馬記念で引退します。なお、最後のレースは2着に終わりました。

引退後

1975年からは種牡馬として活躍馬を輩出しました。なかでもカツラノハイセイコは1979年の日本ダービーを制し、父の無念を晴らしました。その他に1989年のエリザベス女王杯を勝ったサンドピアリスや、1990年の皐月賞を制したハクタイセイがいます。

ハイセイコーは2000年に死亡します。馬の平均寿命が25歳であるのに対し、30歳という大往生でした。

ハイセイコーブーム

ハイセイコーのブームは社会現象となる程で、ハイセイコー宛てのファンレターが、多数厩舎に届きました。

ブームの過熱ぶりを物語るものとして挙げられるのが、1975年1月に発売されたシングルレコード『さらばハイセイコー』です。ハイセイコーの引退に際し、JRAでコンビを組み続けた騎手・増沢末夫さんが歌った楽曲で、瞬く間に大ヒットを記録します。これは45万枚の売上を記録しました。

レーススタイル

ハイセイコーは、スタートから馬群の前方に位置し、直線で抜け出す先行スタイルを身上としていました。レースぶりは安定していたものの、一方で他馬の決め手に屈することが多く、惜敗の多い馬でした。しかしその姿がファンの胸を打ち、さらなる人気につながったと言えます。