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競走馬のご紹介(6)
スピードシンボリについて



スピードシンボリは、国内での活躍はもとより、海外挑戦という意味でも多大な功績を残した競走馬です。ここでは、同馬の経歴を振り返ります。

来歴

来歴

1963年生まれのスピードシンボリは、1965年に野平祐二さんを鞍上に迎えてデビューします。デビューから2連敗のあとに3連勝を飾り、翌年のクラシック戦線に参入しますが、皐月賞と日本ダービーではふるわず21着と8着に終わります。

秋になると徐々に力を付け、菊花賞2着、有馬記念3着と一線級の力を見せます。

1967年、いよいよ本格化すると、天皇賞・春を制覇し、八大競走のタイトルを手にします。また、11月にはアメリカのワシントンD.Cインターナショナルにも参戦し、5着と健闘します。

1968年~1969年春は大レースに勝てませんでしたが、同年の秋にはヨーロッパ遠征を敢行し、イギリスとフランスで3戦します。結果は、5着と10着2回という厳しいものでしたが、日本の競馬界に新たな風を吹かせました。

帰国後は有馬記念に優勝し、翌年の有馬記念も制したのち、長い競走生活にピリオドを打ちました。

種牡馬としては目立った活躍馬を残せませんでしたが、産駒のスイートルナ(牝)がのちに七冠馬シンボリルドルフの母となりました。また、1990年にはJRAの殿堂入りを果たしました。

海外への挑戦

国内の大レースをいくつも制したスピードシンボリですが、それと同等に称えられるのが、海外遠征の功績です。当時、日本馬が長期の海外遠征を行なうのは非常に稀で、しかもトップクラスのイギリス・フランスの地で戦うことは、当時の日本競馬界に衝撃をもたらしたのです。

特にフランスの凱旋門賞に日本馬として初めて挑戦した功績は偉大でした。今でこそ当たり前のように日本馬が世界最高峰の舞台に臨んでいますが、その道を切り拓いたのはスピードシンボリです。

息の長い活躍

スピードシンボリの特徴は、晩年まで成長し続けたことでした。最後のレースとなった有馬記念は7歳(現役当時の表記は数え年のため8歳)であり、5歳頃にピークを迎える競走馬が多い中で、異例だったと言えます。

スピードシンボリが長きにわたり活躍できた理由として、レーススタイルの自在性が挙げられます。同馬はレースごとに様々なポジションをとり、その状況に合わせてベストな展開を作り上げました。このレースセンスが、能力をカバーする技術力を生み、晩年も活躍できたと言えます。

なお、長い現役生活のほとんどで手綱をとったのは野平祐二さんでした。彼のレースを読む力や馬を操る力を最大限に発揮できたのがスピードシンボリであり、また、野平さんにとって念願だった海外遠征を叶えてくれた思い出深い馬とも言われています。