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競走馬のご紹介(2)
オグリキャップについて
オグリキャップは、1980年代後半から1990年にかけて活躍した競走馬です。大きなブームを巻き起こしたこの馬について、紹介します。
来歴

オグリキャップの来歴をまとめます。
笠松時代
1985年生まれのオグリキャップは、1987年の5月に地方の笠松競馬でデビューします。それから翌年1月まで笠松で走り、12戦10勝2着2回の成績を残します。
中央へ移籍
笠松競馬で圧勝を繰り返したことから、オグリキャップはJRAへ移籍します。初戦となる1988年3月のペガサスSに快勝すると、そこから6連勝を果たし、一躍、競馬サークルを超えて話題になります。
通常なら、この時期は皐月賞や日本ダービーに出走するものですが、地方競馬でデビューしたオグリキャップは上記レースへの事前登録を行なっておらず、出走が叶いませんでした。そのため、6連勝はすべてG2とG3であり、ひたすら裏街道を走ります。
初のG1挑戦はその年の10月でした。天皇賞・秋に出走しましたが、タマモクロスの2着に敗れます。次走のジャパンカップも3着と敗れますが、三度目のG1挑戦となった有馬記念で見事勝利し、初のG1タイトルを手に入れます。
休養を挟み異例のチャレンジ
1989年の初戦は、長期休養後の9月のことでした。この年も堅実なレースを繰り返します。なかでも、ファンを驚かせたのは11月のマイルチャンピオンシップでした。レースを僅差で勝つと、翌週のジャパンカップに連戦で挑戦します。このレースでは、当時の世界レコードを打ち立てたホーリックスに迫る2着になり、改めてオグリキャップの能力の高さを見せ付けます。
感動のラストラン
1990年は前半こそG1を1勝(2着1回)と好走したものの、秋2戦は6着、11着と精彩を欠きます。「オグリは終わった」との声も聞こえる中、陣営は有馬記念を引退レースに定め、武豊さんに騎乗を依頼します。最後の直線では全盛期の頃の闘争心を取り戻し、見事に復活して引退レースを勝利で飾ったのでした。
引退後
引退後は種牡馬となりましたが目立った産駒を残せず、2006年を最後に、種牡馬を引退します。その後、2010年に亡くなりました。
武豊さんとの相性
オグリキャップと武豊さんがコンビを組んだのは2回です。1990年有馬記念は2度目のコンビですが、同年春の安田記念が初コンビでした。オグリキャップはこのレースをコースレコードで快勝しており、彼とのコンビでは生涯2戦2勝としています。ファンの間では、どちらも印象深いレース内容だったと語り継がれています。
距離適性の幅広さ
オグリキャップは1,600~2,500mまで、幅広い距離で活躍しました。しかも1,600mではコースレコード、2,400mでは世界レコードの2着という成績を残したことから、競馬史に残るオールラウンダーと言えます。