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競走馬のご紹介(7)テンポイントについて
テンポイントは、多くのファンに愛され、同期のライバル・トウショウボーイと激闘を繰り広げた競走馬です。稀有な運命を辿った同馬の足跡をまとめます。
来歴

テンポイントは1973年に、桜花賞馬ワカクモの子として生まれました。同馬は1975年8月に函館でデビューすると無傷の5連勝を果たし、翌年の皐月賞へ向かいます。
しかし、関西の代表格として皐月賞に挑んだテンポイントに苦汁を舐めさせた関東馬がいました。それが生涯のライバルとなるトウショウボーイです。テンポイントは皐月賞でトウショウボーイに敗れると、続く日本ダービーや秋の菊花賞、暮れの有馬記念と惜敗が続きます。なお、このうち有馬記念を勝ったのも前述のトウショウボーイでした。
1977年になるとテンポイントは最盛期を迎え、天皇賞・春や有馬記念を制覇しました。特に有馬記念では、トウショウボーイをマッチレースの末に下す価値ある勝利でした。
1978年は、海外遠征を表明します。壮行レースとして、1月の日経新春杯に66.5kgという異例の斤量を背負って挑みましたが、悲運にもそのレースで故障が発生します。重度の骨折に見舞われ、懸命の治療を行なったものの、蹄の病気である蹄葉炎(ていようえん)を併発し、そのまま命を落としました。ファンの多い馬だっただけに、マスコミは大々的にこの悲劇を報じました。
そのルックスから付いた愛称は「流星の貴公子」です。のちにJRAの殿堂入りを果たしました。
トウショウボーイとのライバル関係
皐月賞から翌年の有馬記念まで続いたトウショウボーイとのライバル関係は、今も語り継がれています。なお、同世代で菊花賞に勝ったグリーングラスを含め、3頭の頭文字を取って「TTG時代」とも言われていました。
その中でも語り継がれるレースが、2頭にとって最後の対戦となった有馬記念です。テンポイントとトウショウボーイはスタートから他馬を引き離すと、およそ1周半のマッチレースを繰り広げます。
抜きつ抜かれつを繰り返した2頭ですが、最後に前に出たのはテンポイントでした。それまで宿敵に対して1勝4敗だったテンポイントですが、トウショウボーイの引退レースで見事に勝利を掴みました。
テンポイントの最期
テンポイントは日経新春杯での骨折により、生命の危機に立たされました。サラブレッドは4本の脚で立たないと体重を支えられません。そのため、重度の骨折を発症すると他の脚にダメージが及び、結果的に生命を落としてしまいます。このことから、通常は重度の骨折をした馬に対しては安楽死の処置が取られています。
しかし、テンポイントは闘病生活へ向かいます。医療チームが組まれ懸命の治療が行なわれますが、他の脚から合併症である蹄葉炎を発症し、骨折から43日で息を引き取りました。